Meditation Symbolism-瞑想的象徴
「Meditation Symbolism-瞑想的象徴」
※工芸作品協力 漆芸・清瀬明人 陶芸・岩崎晴彦
作家の瞑想に現れるシンボルは何を現すのか?潜在意識を捉えた絵画世界、シンボルを工芸に昇華した瞑想象徴主義展示
序章 瞑想と幻獣 -音楽と絵画の融合
この度佃邸本店隣接の空間をお借りし、初期作品の瞑想絵画から主に幻獣シリーズの展示をさせて頂く機会を得た。
瞑想を始めた初期に特にこれらの幻獣のイメージが現れる事が多くあり、その印象に惹かれた事も私の現代美術活動の一因になっている。
自作曲と絵画で構成された、音楽と絵画の[融合作品]は、私の創作背景にある初期衝動をある意味端的に現している作品だ。
音楽を作りながら、瞑想的な状態に入る時がままあり、その感覚が瞑想体験と重なる時、絵画と音楽の双方の表現が交わって
映像のような感覚、いやそれ以上にリアルな臨場感を持つ時がある。その感覚は瞑想での体感感覚に非常に近いものだ。絵画と音楽が
融合する感覚を楽しんで頂ければと思う。
シンボルを工芸に昇華した瞑想象徴主義
瞑想シンボルを工芸に昇華する試みが、本展示初公開のピラミッドをモチーフにしたピラミッド茶碗、ピラミッド干菓子盆である。茶道が
内在するコンセプチャルな精神性を現代美術コンテクストで読み直す試みのこの作品は、コンセプチャル工芸というハイブリッドアートを
産み落とす機会となった。概念的工芸とは概念を工芸的に楽しむARTとでもいうべきか。
ピラミッド茶碗「たつかたたぬか」は作品名どうりお茶が立てれず、自立しない茶碗である。コラボレートした陶芸家・岩崎晴彦の制作中の
つぶやき「お茶を立てるもんなら立ててみろ的な」から着想した作品名である。私は世界の美しさは、ブレーキにあると思っている。
重力に逆らい大地に立つ時、人間は躍動する。既成概念に逆らうとき本質的な概念が見えるのではないだろうか。
ピラミッド干菓子盆「無限の九」は私の瞑想の中でも特に印象深いブラックピラミッドブラックシーの情景を工芸作品にしたものである。
加賀蒔絵師清瀬明人とのコラボレーションによる伝統に裏打ちされた技巧を惜しみなく使い幻惑的な瞑想美が生まれた。
蒔絵が施されたピラミッドの姿は、武家文化の繁栄に育成された加賀工芸の宿命的な美と不思議と共鳴した。権力が美の土台を作った
時代の遺産が、今ここで新たな霊性のシンボル「無限の九」に生まれ変わろうとしている。
今回初披露目となる300枚の瞑想ドローイングで試しているのは、表現スタイルの即興的展開の中で、覚醒的ビジョンのペイントフォームを
作り出す事であり、即興演奏に近い表現力を手に入れる行為でもある。瞑想を再現する目的で作成してきたが、現実のフレーム、
世界を読みなおすという行為に深く繋がっているような気がする。文明の枠組みの不完全性が露わになった現代において、人間精神の
変容の鍵が無意識に隠されているように思う。古き知恵の中に新たな時代の胎動が隠されている。歴史は繰り返すというフレームは文明
単位を超える時間軸にこれから入る予感がする。瞑想で現れるピラミッドはその潜在的象徴かもしれない。
永遠の臨界「数の廃棄- 鑑賞者が通貨を捨て続ける行為で価格が上がり続ける所有権」
佃邸の特徴的な空間からインスパイアされ生まれた成長し続ける魔物のようなこの作品は、世界の宿命と文明の臨界についての実験である。
数が文明や人の意識に与える力や、文明の終焉に何が起こるのかという漠然とした感覚。
通貨は価値交換を条件付けした概念のシンボルである。私は条件付交換という概念が既に終わりを迎える時が近いと感じている。
その時までの逆算的儀式としてのインスタレーション作品である。タイトルや形状が流動化し続ける作品の宿命を鑑賞頂きたい。
※第四部「Social Symbolism-社会的象徴」で調整展示予定
夢は無意識で創造された世界であり、誰しもが体験している無意識の解りやすい例だ。
しかしそこに大きな意味をみつける人は少ない。私が美術的表現を必要とするようになったのは、夢や瞑想で不思議なビジョンをある時期
から頻繁に体験した事が強く影響している。それらのビジョンが何を意味するのかを追及するための手段が自分には美術しか無かった。
歴史的に見ても古代から人間は瞑想や一種のトランス状態で無意識の視覚化に取組んできた。それらは五感の認識エリアを超越しようと
する新たな世界の読み方でもあり、人間が本来必要とする世界との接触方法ではないだろうか。C・ユングの集合無意識、M・ポランニー
の暗黙知などは現代においても人間が精神における未開拓領域への関心を失っていない証拠だろう。
無意識を主題とした動向は美術史においても、象徴主義、総合主義、シュールレアリスム等にその趣向は強く現れてきた。
近代に勃興したこの現象は、現代では鳴りを潜めたかにみえるが、私も含め無意識の領域に取り組む人々が絶えず今も表現し続けている。
特に草間弥生、横尾忠則、岡本太郎は現代美術史において、この点で重要な位置を占めるように思う。これについては別の機会に
検証してみたい。
私は瞑想で得た視覚的象徴を絵画で捉える事で、瞑想場のエネルギーに再接近する。
描いたエネルギー場としての絵画は、感覚領域が融解し、集合無意識や様々な存在のエンパシーと繋がる場所でもある。これらの意味
を問われても答えにくいが、何か人間という生き物にとって重要な、まだ発見されていない世界領域への挑戦とでもいうべきか。
世界に魔術をかける、または世界にかけられた魔術を解くのが芸術の力であり、その魔術に気付き変性できるかが鍵である。
その呪文は誰にも解らないが、誰でも解ける、そんな呪文的芸術。数千万年に渡る魔術的次元の束縛を一気に解きほぐす様な何かが
そこにある。
新たに見る事は、新たに創造する事に繋がり、世界の認識とその姿を根本的に変えていく。
私にとって瞑想的象徴による世界の読み直しは、まだ始まったばかりだ。続く三部四部では、更なる世界の読み直しを試みたい。
TARTAROS JAPAN
[タルタロスジャパン/日乃谷 啓]
金沢21世紀工芸祭プログラム 工芸回廊 「佃 邸」
Meditation Symbolism-瞑想的象徴
10.13/木-16/日 10:00 ‐17:00
石川県金沢市下新町3-1 電話 076-262-0003
※1F共同展示 前川多仁
※金沢21世紀工芸祭 公式サイト http://21c-kogei.jp/
※工芸回廊公式MAPは、サイトのトップ画面 Download から開けます
※工芸作品協力 漆芸・清瀬明人 陶芸・岩崎晴彦
作家の瞑想に現れるシンボルは何を現すのか?潜在意識を捉えた絵画世界、シンボルを工芸に昇華した瞑想象徴主義展示
序章 瞑想と幻獣 -音楽と絵画の融合
この度佃邸本店隣接の空間をお借りし、初期作品の瞑想絵画から主に幻獣シリーズの展示をさせて頂く機会を得た。
瞑想を始めた初期に特にこれらの幻獣のイメージが現れる事が多くあり、その印象に惹かれた事も私の現代美術活動の一因になっている。
自作曲と絵画で構成された、音楽と絵画の[融合作品]は、私の創作背景にある初期衝動をある意味端的に現している作品だ。
音楽を作りながら、瞑想的な状態に入る時がままあり、その感覚が瞑想体験と重なる時、絵画と音楽の双方の表現が交わって
映像のような感覚、いやそれ以上にリアルな臨場感を持つ時がある。その感覚は瞑想での体感感覚に非常に近いものだ。絵画と音楽が
融合する感覚を楽しんで頂ければと思う。
シンボルを工芸に昇華した瞑想象徴主義
瞑想シンボルを工芸に昇華する試みが、本展示初公開のピラミッドをモチーフにしたピラミッド茶碗、ピラミッド干菓子盆である。茶道が
内在するコンセプチャルな精神性を現代美術コンテクストで読み直す試みのこの作品は、コンセプチャル工芸というハイブリッドアートを
産み落とす機会となった。概念的工芸とは概念を工芸的に楽しむARTとでもいうべきか。
ピラミッド茶碗「たつかたたぬか」は作品名どうりお茶が立てれず、自立しない茶碗である。コラボレートした陶芸家・岩崎晴彦の制作中の
つぶやき「お茶を立てるもんなら立ててみろ的な」から着想した作品名である。私は世界の美しさは、ブレーキにあると思っている。
重力に逆らい大地に立つ時、人間は躍動する。既成概念に逆らうとき本質的な概念が見えるのではないだろうか。
ピラミッド干菓子盆「無限の九」は私の瞑想の中でも特に印象深いブラックピラミッドブラックシーの情景を工芸作品にしたものである。
加賀蒔絵師清瀬明人とのコラボレーションによる伝統に裏打ちされた技巧を惜しみなく使い幻惑的な瞑想美が生まれた。
蒔絵が施されたピラミッドの姿は、武家文化の繁栄に育成された加賀工芸の宿命的な美と不思議と共鳴した。権力が美の土台を作った
時代の遺産が、今ここで新たな霊性のシンボル「無限の九」に生まれ変わろうとしている。
今回初披露目となる300枚の瞑想ドローイングで試しているのは、表現スタイルの即興的展開の中で、覚醒的ビジョンのペイントフォームを
作り出す事であり、即興演奏に近い表現力を手に入れる行為でもある。瞑想を再現する目的で作成してきたが、現実のフレーム、
世界を読みなおすという行為に深く繋がっているような気がする。文明の枠組みの不完全性が露わになった現代において、人間精神の
変容の鍵が無意識に隠されているように思う。古き知恵の中に新たな時代の胎動が隠されている。歴史は繰り返すというフレームは文明
単位を超える時間軸にこれから入る予感がする。瞑想で現れるピラミッドはその潜在的象徴かもしれない。
永遠の臨界「数の廃棄- 鑑賞者が通貨を捨て続ける行為で価格が上がり続ける所有権」
佃邸の特徴的な空間からインスパイアされ生まれた成長し続ける魔物のようなこの作品は、世界の宿命と文明の臨界についての実験である。
数が文明や人の意識に与える力や、文明の終焉に何が起こるのかという漠然とした感覚。
通貨は価値交換を条件付けした概念のシンボルである。私は条件付交換という概念が既に終わりを迎える時が近いと感じている。
その時までの逆算的儀式としてのインスタレーション作品である。タイトルや形状が流動化し続ける作品の宿命を鑑賞頂きたい。
※第四部「Social Symbolism-社会的象徴」で調整展示予定
夢は無意識で創造された世界であり、誰しもが体験している無意識の解りやすい例だ。
しかしそこに大きな意味をみつける人は少ない。私が美術的表現を必要とするようになったのは、夢や瞑想で不思議なビジョンをある時期
から頻繁に体験した事が強く影響している。それらのビジョンが何を意味するのかを追及するための手段が自分には美術しか無かった。
歴史的に見ても古代から人間は瞑想や一種のトランス状態で無意識の視覚化に取組んできた。それらは五感の認識エリアを超越しようと
する新たな世界の読み方でもあり、人間が本来必要とする世界との接触方法ではないだろうか。C・ユングの集合無意識、M・ポランニー
の暗黙知などは現代においても人間が精神における未開拓領域への関心を失っていない証拠だろう。
無意識を主題とした動向は美術史においても、象徴主義、総合主義、シュールレアリスム等にその趣向は強く現れてきた。
近代に勃興したこの現象は、現代では鳴りを潜めたかにみえるが、私も含め無意識の領域に取り組む人々が絶えず今も表現し続けている。
特に草間弥生、横尾忠則、岡本太郎は現代美術史において、この点で重要な位置を占めるように思う。これについては別の機会に
検証してみたい。
私は瞑想で得た視覚的象徴を絵画で捉える事で、瞑想場のエネルギーに再接近する。
描いたエネルギー場としての絵画は、感覚領域が融解し、集合無意識や様々な存在のエンパシーと繋がる場所でもある。これらの意味
を問われても答えにくいが、何か人間という生き物にとって重要な、まだ発見されていない世界領域への挑戦とでもいうべきか。
世界に魔術をかける、または世界にかけられた魔術を解くのが芸術の力であり、その魔術に気付き変性できるかが鍵である。
その呪文は誰にも解らないが、誰でも解ける、そんな呪文的芸術。数千万年に渡る魔術的次元の束縛を一気に解きほぐす様な何かが
そこにある。
新たに見る事は、新たに創造する事に繋がり、世界の認識とその姿を根本的に変えていく。
私にとって瞑想的象徴による世界の読み直しは、まだ始まったばかりだ。続く三部四部では、更なる世界の読み直しを試みたい。
TARTAROS JAPAN
[タルタロスジャパン/日乃谷 啓]
金沢21世紀工芸祭プログラム 工芸回廊 「佃 邸」
Meditation Symbolism-瞑想的象徴
10.13/木-16/日 10:00 ‐17:00
石川県金沢市下新町3-1 電話 076-262-0003
※1F共同展示 前川多仁
※金沢21世紀工芸祭 公式サイト http://21c-kogei.jp/
※工芸回廊公式MAPは、サイトのトップ画面 Download から開けます